過度に他人を羨む心の危険性

45歳定年制(当ブログの45年定年制についての記事はこちら)は、立場の違いにより様々な受け止め方をされているようだ。
現代ビジネス:「45歳定年制」が波紋…そもそも「正社員」の地位は会社によって守られすぎている
この記事の筆者は賛成であるとのことだが、記事を読むとルサンチマン的な感じがする。
最近、ルサンチマン的な声が増えているように思う。
むしろそれ以上に、自分以外の他人を貶めたいと思う人が増えたように感じるのだ。
おそらくこういう人は自分の現在の状況に強烈な不満を抱いているのであろうが、他人を貶めても現状への不満が解消されるわけではない。
大阪大学社会経済研究所の実験によると、日本人は「自分が損してでも他人をおとしめたいという嫌がらせ行動(スパイト行動)」をとる人が多いそうだ。
一方で、災害に見舞われると、大きな混乱もなくお互い助け合って行動する日本人の姿が報道されたりする。
まぁ、人間は多面的で、それぞれ個性があるので、どちらか一方が正しい見方だとは言えないが、傾向としてはどちらかの性質が強いということはあるのかもしれない。
思うに、隣の芝生を「必要以上に」青く感じてしまう人が最近増えているのだろう。
社会全体がそれほど豊かでなく、格差を感じることがない場合、高度成長期のサラリーマンのようにやたらみんなで頑張る(そして、ともに豊かになった)。
災害に見舞われた人たちの間で、助け合うのは、みな同じような大変な境遇でそこに格差を感じないからだろう。
デフレが長く続く中で格差が目立ち始めると、「隣(自分とあまり変わらないように見える人)」との小さな差が許せなくなってしまう人もいるのかもしれない。
個人レベルでは「そんな人もいるねぇ」ですますことができる。
しかし、この過度の嫉妬心が広がりすぎると、全体の活力は大きく失われる。
豊かで才能のある人が起業など行動を起こしたいと考えていても、スパイト行動に対して余計なエネルギーを使わなければならなくなる。
会社で優れた成果を出している人がさらにいいアイデアを思いついても、頻繁にスパイト行動されれば、疲れて何もしなくなるかもしれない。
そのようなことが続くと、結局日本はより貧しいほうへ進んでいき、スパイト行動をする人はより貧しくなってしまうかもしれない。
「格差」は絶対悪のような風潮で報じられることが多いが、人間社会のなかで、格差が生じないなどあり得ないと思う。
「格差」自体が悪いのではなく、妥当な小さな差でさえ許せない狭い心の方が悪影響を与えるだろう。